財布という概念について考えてみる

現代人なら誰もが持ち歩いているもの。最近はスマホもそうかもしれないが、それ以上確実に持ち歩くのものが「財布」だろう。
資本主義の現代において、社会と関わって何かをするときには消費行動が必要だからだ。
つまり、お金が必要ということ。
大昔は物々交換から始まって、価値を担保して持ち歩くために貝を使ったというのが一般説。現代のお金という概念はこのときに始まったと考えられるだろう。
江戸時代にはそれが金貨や銀貨、銅貨、それから藩札が使われ、幕末には外国通貨も入ってきたとか。
(参考:日本のお金「円」はいつ生まれた?

江戸時代の頃は巾着袋が財布に相当したのだろう。
明治に入って現在の「円」に統一され、そのあたりから近代のような財布が使われ始めたのではないかと推察する。
財布…お金を守り、持ち歩ための入れ物。
たかが入れ物ではあるが、現代社会において絶大な価値を持つお金を守るのだから、こだわるのも当然だろう。
ファッションという考え方も味方してか、ものづくりの質を追求した集団の商品群は゛ブランド”という旗を手に入れ、認知が広まっている。
財布もやはりこだわる人が多い。それも、ブランドにこだわる人が多いアイテムと言える。やはりクオリティを担保してくれるので、物が溢れる現代において選択基準になりやすいのは納得がいく。
かくいう自分も、近々新しい財布を購入しようと考えている。インターネットのおかげで、高価値の商品を随分と簡単に探せるようになったものだ。
メンズ向けの財布ブランドなら、我々日本人の多くが共通認識として持っているのは20~40種類程度ある。
(参考:メンズ財布ブランド30選

どのブランドもそれぞれ歴史があり、特徴があり、生産者の想いもあるのだろう。
似たり寄ったりのデザインに見えても、なんとなくアイデンティティを感じるのがすごいところだ。
理由は耐久性や高級感といったところだろうか、財布はやはり革というのが一般的なようだ。どの人気ブランドも、革素材を使うことが多い。
ともあれ、大切なお金を守るのだから、財布にはこだわりたいものだ。

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魂のカレーとの邂逅

赤坂見附と赤坂の間、客引きのお兄さん達が立ち並ぶ夜の飲食街を歩いていると、少し脇道にふと目に入った「カレー」の文字。居酒屋の脇の階段を登り扉の中へ入ってみる。洋風でどこか昭和のバーのような雰囲気があるお洒落な店内に、優しさが表情に滲み出ている初老の女性と、心に芯を持っていそうな男性(旦那さん?)が二人で営んでいる様子。注文したカレーが出てくるまで少し時間はかかったが、奥のキッチンから鼻孔をくすぐる良い香りが漂っていた。カレーを一口食べた瞬間、言葉を失った。値段設定からなんとなく「家庭料理風なカレー」を想像していたが、おそらく香草と果実、魚介のだし等が絶妙に混ざり合っていて、味わった瞬間に脳が揺れるような、まさにオンリーワンの美味しさのカレーだった。赤坂は紛れもないビジネスタウンだから、接待で使うような料亭や高級寿司屋があるのもわかる。サラリーマンの憩い場として格安チェーン居酒屋があるのもわかる。ただ、赤坂という街の歴史を加味した上で、その風合いをある意味最も表現しているのは先述のカレー屋かもしれないな、と感じた。お見事…魂のカレー屋、ベイリーフ

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グアムの風の中に香るアジア

成田空港から3時間と少し、南国グアムへと降り立った。数百年もの間領有していたスペイン、19世紀終わり頃からアメリカ、そして数年は日本も植民地していたグアム。行ってみると観光客はほとんど日本人と中国人、韓国人、それからアメリカ人が少しだけという印象。現地で知り合った青年は「日本がこれだけ作り上げてくれた」と言っていたが、たしかに観光の主要地はどこもかしこも日本語が書かれ、街を歩いていても”外国”という趣はあまり感じられなかった。飲食店もアジアの富裕層が節税目的で出店していると見られる韓国料理や日本料理(といえるほどのものではないが)が多く、それ以外はアメリカ文化を継承している気がした。ただ、現地の朝市等に行ってみると、占領国ではなく風土に育った文化も感じることができた。味付けは東南アジアのそれにどこか似ていた。タモン地区を中心とした観光エリアには高層ホテルが立ち並び、たくさんのアジア人が往来し、店でも日本語でも対応されたが、外れるとやはり島国。警察の検挙率も低く、犯罪として浮かび上がらない犯罪も多いらしい。自分たちの土地と海を愛し、観光客にももっと愛してほしいという「地元愛」の強い人たちが多いサイパンと比べると、観光地として表面的だけでも産業が発達した分、やはり光も闇もあるのかもしれない。どれだけ先進国の色に染まろうとも、美しく青碧に輝く透き通った海だけは、いつまでも変わらず残り続けてほしい。

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心が青いうちは人の為に生きろ

誰が言ったか「人の為と書いて偽と読む」とは何とも奇妙な言い回しだ。

他人の為に、もっと言えば、母が子の為となるのも偽なのだろうか?と思わずにいられない。これはある勘違いから起きる、読み間違いなのだ。偽とは負のイメージが付きまとう、悪の代名詞のように捉えがちであるが実はそこに間違いがある。

決して人の為の偽の行為は(為為為とそろそろゲシュタルト崩壊を起こしそうだが。)悪いことではない。真ではない行いが偽である。真実以外が悪であると決めつけるのは、頭の硬いトンカチ人間だ。そんなことでは広く深い人生海原に沈んでいく一方である。

こんな感じで、モヤモヤをが深まったところで、もう少し「偽」について探っていこう。

偽とは何か?自然ではないもの

Google先生に「偽」と尋ねると

ぎ【偽】 (僞) ギ・いつわる・にせ
自然でないもの。人為。本物でないものを本物らしく見せかける。似せる。虚構。

と返ってくる。

では、真とは何か?

しん【真】 (眞) シン・ま まこと
うそ・いつわり・かざりけがない。本当のところ。まこと。
生まれたまま。まじりけがない。

とまぁ、そんなこと知ってらぁと一蹴されそうな当たり前の答えが返ってきたわけだが、この2つを見比べると、真とはなんだか、素直・自然体・まるはだかといったフレーズが浮かんでくる意味合いだ。

つまり素直に、自然体で生きることが自分の為に生きることになる。そんなことは当たり前なんだけど、それってなかなか難しい。
そもそも自然体ってなんだよ、我儘ってこと?え?

赤ん坊を見てごらん

産まれたばかりの赤ん坊は、嘘も着飾りも知らない丸裸。純真無垢の汚れのない、まっさらな状態で人は産まれてくる。自我と他者の境界が曖昧な子供は、ズルくなる必要がないし、愛想よくふるまう必要もない。

幼子はいつでも自然体で、お葬式でお坊さんのお経を聞いて笑い出したり、思い通りに行かなければ理不尽な主張を振りかざして怒り、困る母を後目に大声で泣きわめいたりする。

大きくなり自我が芽生えると、怒られまいと自分の為に我慢を覚え、褒められようと誰かの為に努力をしたりするようになる。歳を重ね、社会に出た頃には、自分ってなんだっけ?などと周囲に嘯いて、自分探しと称して旅に耽る人もあらわれたりする。

自分の為に生きるのなんて、ほとんどの人が赤ん坊の時くらいしか出来ないのに、「自分の為に生きることが正しいし、それ以外は悪」と極端になってしまいがちなのだ。

となると、「人の為は偽だけど、それは悪ではないのかもしれないな」と少しずつほぐれてくる何かがある。人の為に生きてみると、その人の為になりたい自分に気づくし、自分の為に生きている人の存在にも気づくことになる。

結局、情けは人の為ならず

「人の為と書いて偽」には「情けは人の為ならず」ということわざに同じような響きがある。
真実が分かった時、本当の意味での自分の為の人生が始まる。

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吉田松陰という「武士」の生き様から学ぶこと

明治維新という日本では他に類を見ない革命。その本当の意味での立役者「吉田松陰」。現代人の僕らにとっても、彼の生き様から学ぶべきことは本当に多い。
閉鎖的、排他的な統治を続ける江戸幕府に、青天の霹靂のごとく現れた異国の船。
当時の島国日本には理解が難しい蒸気で動く怪物のような船体に、技術の差を見せようと威嚇射撃された大砲。誰もがオーバーテクノロジーに恐れ、実質的な国のトップである幕府にすら対応の判断ができず、”攘夷だ”と反骨精神を持つことしかなかった国民たち。そんな中で、死罪のリスクを顧みず小舟で異国の船に乗り込み、”学び”のために渡米しようとした吉田松陰。
幕府との関係悪化を危惧したペリーは追い返しはしたものの、報告書にはその事件のことを書き「日本人は学ぶ意欲が旺盛な素晴らしい民族だ」と伝えたらしい。二度目の来航はその成果かもしれない。
投獄された牢でも、囚人たちと常に理想を語り合い、書物を読み、意識を未来に向けていたという。
その後開いたかの有名な「松下村塾」では、高杉晋作や久坂玄瑞ら幕末の志士や、初代内閣総理大臣になる伊藤博文を始め、歴史に名を残す大人物を何人も輩出した。
どんな状況でも”学ぶ姿勢”と”自らの理想”、”行動力”を持ち合わせ、それでいて”感謝”を忘れなかった吉田松陰。
最期のときを迎える朝も、係の人間に「今日もお勤めご苦労様でございます」と声をかけ、鼻をかむと目を瞑り、堂々たる最期を遂げたらしい。
当時の人曰く「あれほどご立派な最期を遂げられた方を見たのは初めてだ」と。
理想を追求し、実現するために情熱的に行動する。シンプルではあるが、これができる人はそういるものではない。
生きる意味を自らに問い続け、確固たる覚悟を持ち、感謝をして謙虚に振る舞うものの、いざという時は爆発的なエネルギーを持って行動を起こす。
吉田松陰から、そんな武士らしい生き様を学びたいと思う。

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